岡村真理子さんの訃報

 

わたしが岡村さんを知ったのはドトールコーヒーで見つけた学校建設の募金をお願いするたった一枚のパンフレットでした。すぐにカンボジアにいた岡村眞理子さんと何度かメールでやりとりをしました。カンボジアに図書館を建設したときです。学校の建設でたいへん忙しいはずなのに、ずいぶん丁寧な長い手紙をいただきました。そのときのメールが残っていないのが悔やまれます。岡村さんは確か普通の主婦でいらっしゃった方です。カンボジアの選挙監視団のボランテイアをされたことがきっかけでカンボジアの復興のため100を超える学校を建てられた方です。一昨年だったかガン治療のため帰国したとのメールをいただいたのを覚えています。昨日御子息様から突然の訃報が届きました。カンボジアでは本当に筆舌に言い尽くせないご苦労をなさったことだと思います。送っていただいた図書館とプレートの写真大切にいたします。何度かカンボジアに来てくださいとのことでしたが湾岸戦争が勃発したりして、行く機会を逃しました。いつか岡村さんの残された学校を訪ねたいと思います。本当にありがとうございました

(以下メールの原文を掲載させていただきます)

 岡村眞理子が生前お世話になった皆様へ

突然のメールをお許しください。また、重ねてのご連絡になってしまっている場合もあるかと思います。何とぞご容赦くださいますようお願いいたします。母、眞理子が昨日午後2時22分に他界いたしました。58年という短い人生ではありましたが、皆様にお世話になり、とても充実した人生を送れたものと思います。 皆様には本当にお世話になっていたと思います。本来であればご訪問して直接ご挨拶を差し上げるべきところではありますが、このような形でのご連絡をお許しください。 また、下記の日程にて葬儀を行う予定です。もしお時間が許すようでしたら、母、眞理子の顔を見てあげてください。母は皆様にお会いすることができ、本当に幸せな人生を送れたと思います。水泳、自転車を通じて知り合った皆様、トライアスロンに参加するようになってから知り合った皆様、カンボジアに行って知り合った皆様、本当にいろいろな方々に囲まれて母は幸せだったと思います。カンボジアの選挙監視団に参加してから、カンボジアに魅せられ、カンボジアの子供達のまっすぐな瞳にこたえるために学校を建てカンボジアを心から愛していました。母の遺骨も半分は第二の祖国、、カンボジアに埋葬するつもりです。眞理子の建てた学校は110校を超えて、今も子供達の教育に役立っているとのことです。眞理子が生きていたこと、眞理子がカンボジアを愛していたことの証は確実に残っていくと思います。
皆様には本当にお世話になりました。
母眞理子のことを少しでも覚えていてください。
よろしくお願いいたします