プチブロックとパズブロック

ダイソーでみつけたプチブロックとパズブロックにはまりなんと64個も組立てました。(プチ54パズ10) 因みに一個110円。動物や乗り物等100種類くらいあり難易度があり1個の組立に要した時間は20分-60分 商品ラインナップは、はたらくのりもの」犬・猫のなかま」野生動物海のなかま新幹線シリーズ」虫のなかま恐竜のなかま」たべものはたらくひとROBOT BUILDER'Sロボットビルダーズ深海のなかまSPACE MISSION幻獣どうぶつTRAIN SERIESピースの形状は34種類、色は76種類もあり驚くほど種類が多い。1個のオブジェクトのピース数は100個前後あり(80-120)組み立て途中でピースが外れたり、崩れたりすると厄介になります。瞬間接着剤で結合が弱い箇所を補強したり、組立図を見ながら正しい位置にピースを差し込まないといけない。部品が小さいから手先と注意力を必要とします。もっと驚いたことは種類別に正確な分類と説明をし、組み立て図と必要な部品を画像でアップ、さらに形別に色、色別に形を画像で分類した投稿があったこと。こちらがその驚愕のサイトです。 

ジグソーパズル

 それを卒業してから同じくダイソーで見つけたジグソーパズルにはまりました。生まれて初めてこの歳になってチャレンジしたが意外に面白く難易度が高い。ピースの数、ピースの大きさ、絵柄で難易度が違ってきます。はっきりとした絵柄がなく形状でしか識別できないものは至難の作業になる。凹凸が合うピースを多数当て嵌めて正しいピースを見つける作業になります。1日2時間で2ヶ月かかるものもあります。手始めに300ピースからはじめたが3000.5000という気が遠くなるものがある。因みに世界最大のジグソーパズルは中国の5428.8㎡。最大ピース数はベトナムの551232ピース。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは、子供の頃からジグソーパズルを楽しみ、今も、ご夫婦で競って作られているそうです。このアナログ系と思えるパズルは集中力と忍耐力、そして観察力が養われ、達成感や満足感を得ることで癒しになります。

 

まずは4辺を完成させます。次におおまかに絵柄別色別に分けます。こちらにコツなど詳しい解説あり。ヤフオクやAmazonで購入、中古品や新品いずれも未開封でピースが足りなかったことはありませんが1個でも足りないと完成しないから、メーカー各社は足りないピースの位置をハガキで書いて請求できるサービスをしています。メーカーから届いた箱の中には糊が同封されていて完成させた作品がばらけないようにするために作品の表面にまんべんなく塗って乾かす。ピースとピースの隙間にのりが入って固まるようになっていす。これまで20個買い1個あたり1100円(送料込み)  装飾用のガクブチはダイソーA3サイズで220円。 

 2022.12.5


①銀山温泉(難易度2)

タイムスリップしたかのようなレトロな景色が広がる山形の銀山温泉。銀山川の両岸には木造の温泉旅館が立ち並ぶ温泉街では、夕暮れになるとガス灯に火がともり、ノスタルジックな日本情緒が漂う。豪雪地帯にあり特に雪が降る温泉街の夜景は有名

一つ一つのピースに識別できる手がかりがあったので比較的短時間で完成しました(ビバリー)


②ムンク「叫び」(難易度4)

極度にデフォルメされた独特のタッチで描かれた人物、血のように赤く染まったフィヨルドの夕景と不気味な形、赤い空対比した暗い背景、遠近法を強調した作品である。この絵は、ムンクが感じた幻覚に基づいており、ムンクは日記にその時の体験を次のように記している。

  私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。  

つまり「叫び」はこの絵で描かれている人物が発しているのではなく、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる姿を描いたものである

ほとんどのピースに顕著な手がかりがなくギブアップしそうになったが根気よく頑張って完成させた。数日間かかりました。最初に夕焼け空が完成、最後に顔が完成した時にはちょっと感動。(エポック社)


③オーロラと聖なる夜(難易度4)

フィンランドサンタクロース村

叫びと同じくらいの難易度だったが2日間で完成。建物以外は色に違いがあるが(青系赤系白黒系)グラディエーションになっていて区別が難しく形状ではめていく骨の折れる作業だった(ビバリー)


④鈴木英人「波止場のひととき」(難易度1)

グラデイエーションをラインで強調し車やアメリカ西海岸を主として描いたイラストレーター鈴木英人の作品

これはほとんど迷いもなく短時間で仕上げることができました。凹凸のみで探すピースはほとんどなかった。前日の夜間に宅急便で届いたが翌日午前中には完成(アポロ社)


⑤James Dean(難易度5)

ジェームスデイーンは自身の孤独と苦悩に満ちた生い立ちを、迫真の演技で表現し名声を得たが、デビュー半年後に自動車事故によって24歳の若さでこの世を去った俳優

  • エデンの東 East of Eden(1955年)
  • 理由なき反抗 Rebel Without a Cause(1955年)
  • ジャイアンツ Giant(1956年)

 

ジグソーパズルはこれまで4個完成させ5個目になるが、最初に枠を完成させ、いよいよ作業開始しょうとしたが目と鼻の2ピース以外は識別可能な図柄はまったくなく、1個のピースの置き場所を探すのに数十分も浪費しなすすべがない。そもそもモノクロだし商品も古いし捨てるつもりでいたが、新しいパズルが届くまでの間に再チャレンジしてみることにした。やはり最難関だった。ピースのまぎらわしい模様と明暗、そして形状で一致する場所を探すため複数のピースを当てはめる作業を根気よくやり4日間で遂に完成。(やのまん)


⑥ゴッホ「夜のカフェテラス」(難易度4)

夜のカフェテラス ( Terrasse du café le soir)は、1888年9月にフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた絵画。油彩。クレラー・ミュラー美術館蔵。 81.0 cm × 65.5 cm

      《夜のカフェテラス》を描いたあと、ゴッホは妹に手紙を書いている。

 

 ここ数日間、新しい夜のカフェの戸外の絵を描いていた。テラスで酒を飲む人々はほとんどいなかった。店の巨大な黄色のランタンの光がテラスや店の正面、床を照らし、通りの石畳みにまで光が伸びていた。照らされた石畳は紫色とピンク色を帯びていた。通りに面した家屋の切り妻壁は、星が散りばめられた青い空のもと、緑の木樹とともにダークブルーや紫の色を帯びていた。今ここに黒のない夜の絵画がある。美しい青、紫、緑と淡い黄色やレモングリーン色で照らされた広場だけがある。私は夜のこのスポットで絵を描くのが非常に楽しい。これまでもたくさん絵を描いており、昼間に描いたドローイングを元に油絵を描いている。ギ・ド・モーパッサンの小説「ベラミ」の始まりがちょうど、通りに面した照明付きのカフェがあるパリの星月夜の風景のだが、私がちょうど今描いている主題はこれと同じようなものだ 

中国製で中国から配送されてきました。11月24日に注文12月07日に配達。実際の絵はパズルの絵とかなり違っています。背景の空と星空はなくカフェの2階がなくテラス手前の石畳もない。本物の絵は縦長なのにパズルは横長に。原画の上下をカット。プラスチックの小箱にピースが入れられていて写真は日本製品のように紙製の箱に印刷されてなく粗い画像のプリントした紙(B5)が添えられていた。ピースとピースの隙間が日本製と違いアローワンス(許容誤差)が全くないため、嵌めるというより押し込むという感覚です。よって適正な場所に合うピースが見つかっても、間違ったピースを押し込んでるんじゃないかという不安が生じます。スポッと嵌まった、正しいピースを発見したという成功感がありません。アローワンスがないため形状で当て嵌めていく作業も時間がかかります。赤青黒黄色の区別はできるがほとんどのピースは識別不可能な無意味な模様。一日目はまったくはかどらなく枠だけはできたがお手上げ状態。二日目にコツ(微細な模様を手掛かりに)が掴めて2/3が完成。この製品はピースの裏側が4分割されABCDの文字が横縦にびっしり印字されていて、これが大きなヒントになります。完成したと思っても裏返してみるとABCDが不揃いに並んで一目瞭然に間違いが発見できます。このヒントのおかげで黒一色のピースの部分に嵌め間違いが数箇所あり作業開始して3日目に完成しました。(中国製)


⑦ゴッホ「星月夜」 (難易度4)

 

 ゴッホの生涯は仕事や恋愛にもすべて失敗しゴーギャンとの共同生活も2ヶ月て破綻し耳切事件をおこし精神病院で療養、この作品は失意のなかその病室サン=レミの療養院)の窓から描いたとされています。挙げ句ピストルで自殺したと伝えられています。わずか10年の画家活動で油彩画860点水彩画150素描1000点も描いたが生涯で売れた絵はたった二枚とか、鶏小屋の壁の穴を塞ぐのに使われていたという話もあり。生前はまったく評価されなかったが死後遺族の努力などで徐々に評価され1980年代(死後100年)には「ひまわり」は53億円「医師ガシュの肖像」は120億円で日本の企業に落札される。人生っていったい何だろうか?歯ぎしりをするような悶々とした人生。唯一弟のテオが兄の絵を理解し経済的に支え続け、ゴッホは650通もの手紙をテオに送っている。ゴッホの哀れで不運な人生を知ったら誰しもが深いため息をつくと思う。 

超難関。遅々として進まない。これも中国製品で裏面が4ブロックに分割されAブロックにはA、BブロックにはBの文字が縦横に印字されている。これを手掛かりに300のピースをABCD別に分け、まずAのブロックを埋めていきました。Aブロックの下はCブロックになっていて境目のピースにはACの2文字が印字されていたからそのピースを探して境目に嵌めていきました。しかも各ピースは上下左右にピースを回転させる必要がない。4ブロックにピースを分類するから作業効率は4倍になり、ピースを回転させる必要がなくなるからさらに効率は大幅に上がります。しかも裏返すと間違って嵌めたピースが発見でき裏返しのまま嵌め直すことができる。隣合わせの2ピースをピックアップし裏の文字の並び方を見ながら正しく繋ぐことができる。そんな手法を編み出して短時間で完成させました。(中国製)


⑧ダヴィンチ「モナリザ」(難易度5)

1503-1519年に制作。ポプラ板に油彩。500年も前のダヴィンチの作品で様々な疑問点や憶測が現在も検証されていて興味深い。1973年日本では、翌年の「モナリザ」公開(上野・東京国立博物館)に先駆けて、モナリザブームが到来。やのまんがドイツから輸入した750ピースの「モナリザ」のパズルが大ブレイクし日本に初めてジグソーパズルが普及しました。

実際の絵の両手の部分と両端がカットされていて、背景の村の道路なども見えない。超超難関。何度も絶望的になりましたが3/4完成。白いピースから攻略。翌日仕事から帰宅後残り50ピースだからなんとかなると楽観していたが悪戦苦闘。手当たり次第に当て嵌めていっても嵌まるピースがない。間違いピースがあるからだ。間違いピースは0.5mmくらいのすきやゆるみを発見するのだが、やっかいな作業です。一時途方にくれ諦めかけたが、解決法が見つかりそこからは一気に埋めていき、最後の一枚が嵌まった時は感無量でした(キューティーズ)


⑨鬼滅の刃(難易度3)

 絵柄がパズルの全体にあるから一見楽勝かなと思ったが、意外に手こずった。一つ一つは置く場所がなんとかわかるが繋ぎ方が難しかった。また4辺からピースを増やしていくことも難しかった。突破口がない。やむなく人物から嵌めていきました。ピースが2つ最後まで見つからなかった。炬燵の掛け布団や中を何ども探しその2ピースが出てきた時は感動したね。作業途中ではピースが足りない果たして埋まるんだろうかといった疑念に何度も襲われるがPUZZLEは決して裏切らない。(エンスカイ)


⑩クリムト「接吻」(難易度4)

《接吻》は1907年から1908年にかけて、オーストリアの画家グスタフ・クリムトによって制作された油彩作品。金箔、銀、プラチナが使われている。ウィーンのベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館(オーストリア・ギャラリー)が所蔵している。

 12月5日に注文し21日に到着。中国製なので裏面のABCDの4文字で区分された4エリア別に攻略。全ピースを文字の向きを縦に配置し、嵌め間違いを防止するため怪しい時は裏の文字で確認、そんなやり方でなければ難易度かなり高そうだったが、3ー4時間で完成した(中国製) 


⑪ウォーリーを探せ(難易度3)

一つ一つのピースの図柄は「戦う兵士」でその位置を探し出すには少々時間がかかるが印刷は鮮明なので目を皿のようにすれば必ず見つかりました。しかしピースとピースの繋げる作業は結構たいへんでした。どのピースも似たような兵士なので。突破口は川と空、城塞にある赤いラインと窓。残りピースが少なくなっても作業スピードがアップできない。二日かかりました。(ビバリー)


ところで完成したパズルはダイソーで額縁(220円)を購入し額装していたが、枚数が10枚を超え場所をとるので保管方法を変更、A3横のリングファイル(ポケット付き。厚さ3.5cm)にしました


⑫B'z The Best `Pleasure` (難易度3)

なんか詳しいことはわからないが日本の音楽ユニットB’zのアルバムのことらしい。購入特典としてジャケットを使ったB4版204ピースジグソーパズルが付属していたとのこと

各人の表情まで鮮明なので嵌めていくのが面白かった。背景の赤色から攻略し次に人物。箱が通常の商品の半分くらいの小箱だった。(メーカー名不明非売品)


⑬STREET(難易度2)

これも中国製なのでまず裏面のABCDのエリア別に分けて、次に文字の向きを縦位置に全ピースを置いて、さらには凹凸別に整理。これらの準備作業に時間がかかるが短時間で完成させた。(中国製)


⑭バンドウイルカ(難易度5)

これはかなり古そう。箱には今はもう無くなったKAMPOとあります。記念品かな?

これは超難関でした。どこからも手が出せなかった。まさにお手上げ。イルカの縞模様からやればいいと思うだろうが縞々の入ったピースは10枚くらいしかなかった(メーカー名不明)


⑮となりのトトロ(難易度3)

雨の白い線と傘の黒いピースの繋ぐのが一苦労だった。雨の白い線が繋がるピースを探すわけだが、多数の類似するピースの中から線が繋がる1枚を発見する骨の折れる作業。黒いピースは絵柄が黒1色で濃淡もないから形で何回も合わせ嵌るピースを探すしかない

(エンスカイ)


⑯ノーマンロックウエル「AFTER THE PROM](難易度4)

これはわたしの好きな画家の1作品です。EVENING POST誌の表紙絵です。学校から抜け出した男の子と女の子が町の酒場でに行き、そこで花束をプレゼントするのを大人たちが微笑ましく見ている風景だとか。プロムとは、プロムナード(promenade、舞踏会)の略称で、イギリス・アメリカ・カナダの高校で学年の最後に開かれるフォーマルなダンスパーティ。ノーマン・ロックウエルはアメリカで最も影響を与えたイラストレーターの一人。22歳の時にアメリカの大衆紙「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙を出稿。以後47年間にわたり322回の表紙を飾る。ロックウエルは60年以上にわたりアメリカとアメリカ国民を率直に敬意を表して描き、夢や希望、そしてアメリカ人のライフスタイルをユーモラスに描き続け数々の名作を生み出した。

これは一見すれば絵柄があるし優しそうだが、ピースにばらしたとき、そのほとんどが場所が特定しにくい。わかるのは色調だけ。4辺とEVENING POSTの文字が終わって次に攻略できる部分が見つからず1ピースおくのに10分も15分もかかりギブアップしそうだった。3人の顔から埋めていき半分くらい完成してからはスピードが加速度的につきました(やのまん)


ジグソーパズルの醍醐味

難易度の高いものは1必ず途方に暮れる 諦めてしまい投げ出したくなる 2必ずピースがない ピースがたりないという不安と疑念が生じる 3手懸かりや活路を見出すことができる 4見いだせないときは試行錯誤するしかない 5ピースがない、たりないということは絶対ない 6達成感と満足感が快感 7左脳と右脳を使い課題を解決


⑰ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール」(難易度5)

ルノワールが1880年にユダヤ人銀行家から依頼されその娘イレーヌ(当時8歳)を描いた有名な肖像画ですがこの一枚の絵は数奇な運命をたどりました。描かれた時から11年後、イレーヌは裕福な銀行家と結婚したが、別れてイタリア人伯爵と再婚しました。この絵は、最初の夫との間に生まれた娘ベアトリスに引き継がれました。しかし、第2次世界大戦の最中、ナチス・ドイツに没収されてしまいます。終戦後の1946年に74歳のイレーヌのもとに返還されました。娘一家はアウシュビッツ強制収容所で亡くなっていました。イレーヌはこの絵に関心がなかったのか、それともいろいろ思い出して辛かったのか、3年後、絵を売ってしまいます。競売にかけられたこの絵は、スイス・チューリヒの実業家で印象派のコレクターだったエミール・ゲオルク・ビュールレが、24万スイスフラン(現在のおよそ2億4000万円)で購入しました。ビュールレは、ナチス・ドイツを始め世界各国に兵器を売って巨万の財を成した武器商人でした。長くビュールレコレクションとして公開されていたが警備上、保管管理上で問題があったため2020年にチューリッヒ美術館に移管される。 

場所を特定できる識別可能なピースは「目」の2枚を除きまったくなく、突破口がなくどこからやっていっても同じでした。仕方なく下から始めたが1個のピースに10分以上もかかり絶望的でした。しかし白い部分もかなり時間がかかり埋め終わると次は茶色の部分、そして顔へと。いずれもはっきり識別できるような絵柄でないので遅々としてはかどらない。1カ所に何枚かを当て嵌める作業を永遠と繰り返し最後の1枚になりました。人生も同じ。大きな障害や困難に対し一時は諦めて投げ出したくなるが、立ち向かい乗り越えた時の達成感や満足感は大きい(キューティーズ)


⑱温泉津温泉(ゆのつおんせん)(難易度3)

温泉津町(ゆのつまち)は、島根県の中央部に位置する日本海に面した町であり、港を意味する「津」の名前が付く通り、温泉津港を始めとする多くの港を備えている。町名通り、海岸付近の温泉津地区は実際に温泉津温泉が古くから湧出してきた場所であり、温泉街(温泉津重要伝統的建造物群保存地区)は、大田市との合併後の2007年に石見銀山の構成資産として世界遺産に登録された。一度行ってみたい。(やのまん)


⑲ベーカー街221Bの午後(憂国のモリアーテイ)(難易度2)

これは調べると19世紀末の英国の階級闘争を描いた漫画。ジェームズ・モリアーテイが腐敗した階級制度を打ち砕き、理想の国を作り上げるために動き出すとか。絵柄とか線でピースの位置が確認できるから難易度2にしたが、完成まで数時間かかりました(やのまん)


20星空のウユニ湖(難易度 超難関)

間違って嵌めたピースが多く嵌め直したりしても適合するピースが見つからない。よってその隣のピースが間違っていると考え、嵌め直すが、やはりピースが見つからない。微妙な色調と凹凸で適合するピースを探すが残りピース数が多すぎて試行錯誤的に嵌めていく作業がたいへん過ぎ。絵柄といっても☆だけ。絵柄で場所の特定はできません。20個目にしてついに根負け、ギブアップしました (エポック社)


21葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏(難易度4)

葛飾北斎(1760-1849)は江戸時代後期に活躍した浮世絵師。現在の東京都墨田区に生まれ、幼い頃から絵を描くことに熱中し、十代の終わりに人気浮世絵師・勝川春章に入門し絵師となりました。その代表作が「富嶽三十六景」という46図におよぶ浮世絵版画のシリーズです。北斎は、圧倒的な画力と奇想天外なアイディアで、全図各地から眺めたさまざまな富士山の姿を描きました「富嶽三十六景」の中に描かれた富士山は、陽光に山肌を赤く染めた雄壮な姿であったり、雷雲の上に頂を突き出す荘厳な姿であったかと思えば、橋桁のはるか向こうや桶の輪の中からのぞく小さな姿だったりと、多種多様。中でも「波間の富士」の俗称をもつ「神奈川沖浪裏」は、ダイナミックな構図の中に、大自然の脅威と人間の営み、そして全てを超越する霊峰の姿を見事に描いた傑作として、海外でも"The Great Wave"の呼称で知られていて世界一有名な浮世絵。北斎は90歳まで生き、真の絵描きを目指し続けた画狂老人。北斎はとにかく研究熱心な努力家。浮世絵の様式を習得するだけでは飽き足らず、さまざまな画派の技法を取り込み、中国や西洋の絵画も研究しました。師の春章のもとを離れ、長年オーダー品と読本の挿絵を描いて生活してきたが、錦絵(多色摺版画)というフィールドに再チャレンジし名作「富嶽三十六景」を発表したのは、なんと70歳を過ぎてから。そこには半世紀の画家人生の研鑽の成果が注ぎ込まれていました。90歳の長寿を全うし、生涯現役。多くの弟子を抱え、人気絵師の名をほしいままにしながらも、本人は最期まで「あと5年、いや、あと10年生き長らえることができれば、真の絵描きになれたのに……」と現状に満足せず、常に高みを目指していたそうです。そんな彼の雅号(絵師として活動するときの名前)のひとつが「画狂人(または画狂老人)」。神羅万象あらゆるものを描き、画道ひと筋、ひたすら邁進し続けた人生でした。片付けが出来ない! 改名30回、引越し90回の変わり者。努力家という美談の一方で、北斎にはかなりの変わり者であったというエピソードも。現在、私たちは彼のことを「葛飾北斎」と呼んでいますが、「葛飾北斎」という名前を名乗っていたのは70年の画家人生の一時期。駆け出しの頃は「春朗」、続いて「宗理」を名乗り、やがて「北斎」「時太郎」「画狂人」……といったように30回も名前を変えています。北極星(北辰)や北斗七星を想起させる「北斎辰政」や「葛飾戴斗」など、かなりかっこつけた名前もあり、雅号にこだわりがあったのかなかったのかは謎です。ちなみに、本名は鉄蔵。また雅号以上にコロコロ変えたのが住所でした。北斎は片付けがまったくできず、散らかすだけ散らかすと、住居を移転したそう。人生で90回も転居したと伝えられています。料理もまったくせず、買ってきた食事はパッケージのまま器にうつさず、食べたらそのへんにポイ。北斎については、さまざまなエピソードが伝わりますが、決して愛想の良いタイプでもなく、一般的な衣食住にはほぼ興味がなかったことがうかがえます。きっと絵を描くこと以外には、人にも物にも、とことん無頓着だったのでしょう

ピースのサイズが大きく完成サイズは49×36㎝。嵌め間違いはなかったが酷似する波の絵柄と空の部分で骨が折れた。(ravensburger) 


22滝平二郎 小正月の朝(難易度3)

黒と黄色の部分はピースの形で嵌めていくしかないので少々時間がかかった(キューティーズ)

戦争体験が生んだ「きりえ」の名作

「きりえ」を通して日本の懐かしい風物や暮らし、子どもたちを描き続けた滝平二郎(1921~2009)詩情あふれる画面からは滝平が対象に向けた優しい眼差しを感じるが、創作の背景には本人が戦争で味わった凄絶な体験があった。

恐怖と絶望 沖縄で壮絶な体験

滝平は霞ケ浦を望む茨城県玉川村(現小美玉市)の農家に生まれ、青年期に版画家を目指すが太平洋戦争が勃発。赤紙(臨時召集令状)により軍に入隊すると最後に送られたのが激戦の沖縄だった。陸軍少尉・滝平二郎は、部下らとともに砲弾降り注ぐ山中を彷徨い、極限の飢えと恐怖、絶望でやせ細り、生ける幽鬼と化すこととなる。のちに滝平は、そのときの姿を「戦争敗走記」という連作にまとめている。滝平は九死に一生を得て復員すると、故郷で画業に邁進することとなる。中国木版の影響を受け、明暗を意識した力強い輪郭線を持つ独特の版画スタイルを築き上げた。さらに児童文学作家・斎藤隆介との出会いが、「八郎」「花さき山」「モチモチの木」など数多くの名作絵本を世に出すきっかけとなる。また、1967年ごろから独創的な切り紙を制作。そして朝日新聞紙上での連載を機に、滝平の切り紙は「きりえ」と命名され、新しいジャンルとして世の中に定着することとなった。

戦争を憎悪「平穏な暮らしこそ」

滝平のきりえのほとんどが日常の暮らしのひとコマを切り取った作品だ。とりわけ楽しい場面を描いているわけではないし特別な行事でもない。『人間は生きているだけで幸せなのだ。ごく普通の日々こそが貴重で、ありがたく、かけがえのないものなのだ』と、骨の髄から痛感したからでしょう。戦争への激しい反発と平穏な暮らしへの渇望と喜びが常に創作の根底にあったのだと思います。連日、痛ましい戦争のニュースが飛び込んでくる昨今、滝平の「平穏な暮らしこそ」というメッセージは重く心に響く。滝平は戦争に絡んだ悲惨な体験ばかりを語っていたわけではない。終戦間際、米海兵隊の捕虜となり、その収容所での出来事も子どもたちに話して聞かせた。少尉として輸送部隊を率いていた滝平は、「捕まった将校は即銃殺」とすり込まれていたため、「どうせ自分も銃殺刑だろう」と覚悟していたという。ところが、取り調べを境に事態は思わぬ方向へ。尋問役の将校に「職業は何か」と尋ねられ、なかばヤケクソで「画家である」とうそぶいたところ、通訳を通して「それなら私を描いてみろ」と紙と鉛筆を渡された。ほどなく完成した絵を見た将校は予想以上の出来栄えに驚嘆。他の米兵からも「タキダイラ。次は私を描いてくれ」「タキダイラ、その次は私だ」といった具合にたちまち評判となった。中には家族写真を手に、「故郷に残してきた妻と子どもたちだ。彼らの分も頼めるか」と依頼する者もいたようだ。絵の謝礼は米国のタバコ「ラッキーストライク」。滝平はそれを捕虜仲間と分け合ったが、注文をこなすうちに謝礼も豪華になり、ときにはチーズの缶詰などもあった。この奇妙な捕虜生活が一息ついた頃、今度は、「隊長殿!もっと注文を取ってきてください!」と、欲気のついた部下たちから催促の矢が飛んでくるようになり、「ほとほと参った」と苦笑していたという。


23 ピーターラビット.カラフルスプリング(難易度3)

ピーターラビットPeter Rabbit)は、ビアトリクス・ポター児童書に登場する主役キャラクターであり、シリーズ作品の総称ともなっている。1902には初の本「The Tale of Peter Rabbit」が出版される。ピーターラビットシリーズの累計発行部数は全世界で25000万部を超え、第1作の「ピーターラビットのおはなし」の発行部数は全世界で4500万部を超えている。

色が鮮明でなかったので次々と嵌めていくことができず、最後まで一個ずつ場所を探しながら仕上げていきました【エポック社)


24葛飾北斎 富嶽三十六景  常州牛堀(難易度4)

7歳からとありますが絵柄で場所が探せるピースは半分くらいしかありません。いきなり4辺から苦労させられた

25葛飾北斎 富嶽三十六景 東都浅草本願寺(難易度4)

形で嵌めていくピースが多くて疲れたが達成感あり