懐かしい人と再会しました

12月は3人の懐かしい人と再会しました。

 

2009年にわたしのホームページ(上海からの手紙)を偶然見つけた母方の従妹孝次郎さんからメールをいただきました。その際はお互いの記憶をたどって母方の先祖や家系について話をしました。その後音信不通でしたが今年の1月、孝次郎さんのことをふと思い出しまだブログ(Ameba)があるのだろうかと半信半疑で探したところなんとか見つかったので書き込みをしました。しかし何の返事もないまま10ケ月も過ぎ、11月30日にわたしの書き込みを見た孝次郎さんから突然電話があり仰天。もちろん初めての電話です。12年ぶりの再会です。現在は高山市に住んでいて昨年退職されたとのこと。自宅は福岡市だが高山で長年暮らし帰省する気がなくなってきたとか。もう69歳になられたとのこと。母の兄弟は既に他界していてその子供たち(従妹)との交流などもまったくない中で、亡き母や叔父(孝次郎さんの父)のことなど遠い昔のことを語らいました。 

 

わたしが昭和54年から60年に勤務していた会社の経営者の寺地さんを知ったのは2年前に偶然名前を見つけたFacebookでした。あまり投稿もされてないので交信もありませんでしたが、今月突然メッセンジャーでお会いしませんかとのメールをいただき、先週日曜日に神戸駅で再会することになりました。わたしがその会社を退職したのは1985年ですのでなんと35年ぶりです。寺地さんは現在78歳とのこと。わたしが退職して数年経ったとき、大台ケ原の宿泊施設大台荘で偶然出会ったことがあります。お互い家族連れで標高1500mの山頂にある山荘に宿泊していたのです。ほんとうに奇遇としか言いようがありません。神戸であったときは寺地さんの3人の兄弟(いずれも当時の会社の経営者)と彼らが社内恋愛で結婚した配偶者や恋人のこと、当時の社員のことなど、どうして会社が破綻したのか?等々お聞きし曖昧だったわたしの記憶を上書きいたしました。

 

横浜のモデルをしていたerimaさんと知り合ったのは15年前2005年のことです。当時はBLOGの黎明期で使い方もよくわからないまま、わたしの娘yuiminのお友達であったerimaさんのBLOG(goo)にコメントを投稿したのがきっかけでした。erimaさんは自身の壮絶な逆境人生を赤裸々に書かれていて痛く感動したからでした。あれから15年が過ぎて今年の10月erimaさんはどうしてるかと当時の彼女のBLOGのタイトルを手掛かりに探したらなんと現在も投稿されていて15年前のわたしが書いたコメントも確認できました。投稿記事を読んでいると10年前から横浜市でイタリアンのお店を経営されているようでした。パートナーのgonzaさんと。「erimaさん覚えていますか。yuiminの父親です。」と最新記事のコメントらんに書き込みました。返信のコメントが一向に入らないので半ば諦めていたら12月になって彼女から返信がありました「あれから15年も経つのですね。お店を始めて10年.。夢中で必死で、でも仕事が楽しく、月日が過ぎるのがあっという間でした。・・・ご縁に恵まれ、言葉を交わし、互いの存在に感謝できること。本当に有難いことです」