星野道夫の世界-アラスカの壮大な自然とそこに暮らす人々

イニュニック[生命] アラスカの原野を旅する 1990-1993 
星野道夫のワールド(原文のまま引用)
僕はブルックス山脈にまかれるであろうロジャーのことを思った。ロジャーはこの土地を愛し、そこに逝った。私たちはある風景に魅かれ、特別な想いをもち、時にはその一生すら賭けてしまう。人はいつも自分の心を通して風景を見るように、僕のアラスカはそれらの人々と無縁ではなかった。この土地の原野の広がりも、ブルックス山脈も、カリブーさえも、それだけで存在しているものではなかった。また風景とはひとつの山であったり、美しい川の流れであったり、その土地を吹き抜けてゆく風の感触かもしれない。それをもし自然と呼ぶならば、人間がどれだけ想いを寄せようと、相手は無表情にそこに存在するだけである。私たちの前で季節がめぐり、時が過ぎてゆくだけである。ロジャーの骨はゆっくり大地に帰り、また新たな旅が始まろうとする。自然が、いつか私たちの想いに振り向いてくれるとは、そのことなのではないか。自然はその時になって、そしてたった一度だけ、私たちを優しく抱擁してくれるのではないだろうか。

ロジャーはブルックス山脈で消息を絶ったパイロット。彼はアラスカ北極圏でナンバーワンのブッシュパイロットだった。多くの仲間が、やり場のない淋しさをかみしめながらロジャーの死を悲しんだ。ロジャーは笑うと四角い顔の目じりが下がり、笑顔の奥に深い悲しみを感じさせた。人の気持ちを暖かくさせる不思議な力を持っていた。友人のパイロットのドン・ロスが「ロジャーの優しさは、何か重架を背負いながら生きる人間から滲み出てくるものなんだ」と言っていた。ドンは天候も悪化し、二重遭難の危険の中で初冬のブルックス山脈を最後まで一人で飛び続け、もう春までは無理だろうと誰もが諦めかけたとき、ある谷上部でロジャーの機体を見つけたのだった。ロジャーがある願いをドンに託していたことを、僕は後になって知った。
「いつか命を落としたときは、自分の灰をブルックス山脈にまいてくれないかと・・・」