甥のこと③栄光の架橋

大阪から車で中国道から米子道を走り岸本町の義弟宅についたときはすでに午後10時だった。棺の中には大学受験の問題集や好きだったゆずの楽譜。顔はとても柔和だったが抗癌剤のため髪や眉毛が抜けおち、痛々しかった。母親が「焼きたくない。このまま置いていたい」とつぶやく。わたしは慰める言葉もなく「愛する子を失った悲しみとはそういうことなのか」と思った。 翌日の葬儀には200人もの同級生や友人が駆け付け3人の友人が弔辞を述べた。友人たちは嗚咽しながら「きみは決して苦しいなどと嘆いたりしなかった。いつもニコニコして…ぼくはきみからいつも元気をもらいました。どうして病床のきみから元気を…」会場にはゆずの「栄光の架橋」が流れていた。 


 きみは北大受験の試験中に突然病に襲われ、これからまさに旅立とうという青春の真っただ中で難病と闘い続けた。そして1年が過ぎて20歳の誕生日を迎えてすぐに力尽き果ててしまいました。前途洋々の人生はスタートも切れないまま突然絶たれてしまった。その無念さと救いようのない悲しみ。この非情な現実をどう受け入れたらよいのだろうか。 愛する子に先立たれた親は胸が張り裂ける思いだろう。親友を失った若者は心の支えを失うことだろう。みんなの涙がとまらない。涙があふれてとまらない。きみはこんなに愛されていたんだ。きみはみんなに愛されていたんだ。愛されて死んでいったきみは幸せだったと思っていいかい。きみは幸福だったよね そうだよね