土佐のY君から返信

IMGRIMOMGRI'S BLOG

大学時代、同じクラスでなぜか気が合い二人でよく授業にでたりしていた友人のY君は卒業してスグに彼は大阪に転居 一度大阪で会ったきりでした。昭和47年に彼に出したハガキが宛先不明のまま戻ってきました。現在もそのハガキは思い出として保管してます。学生の頃交遊のあった人たちは今どうしてるんだろうか?もはやインターネットで名前検索するしか方法がありません。Y君は高知の名門の土佐高校出身だった。検索してもヒットする人物がほとんどいない中、高知のある建築設計事務所のホームページに代表者としてプロフィールと顔写真が出てきました。大学も慶応で学部は商学部 卒業年度も一致 顔写真もなんとなく彼のようだ しかし文系の彼がなぜ建築士に? わたしは勇気を出してその事務所のホームページのお問い合わせらんに、問い合わせてみました 「あなたはもしかしたらわたしの友人だったKY君じゃないでしょうか?」 2.3週間ほどたっただろうか忘れた頃にわたしの会社の郵便ポストにY君から次のような手紙が届きました。   

 

○○ご無沙汰!

この手紙がおくれたのは○○に何を書いていいのかおもいつ

かなくって おそくなりました。ゴメン

○○は大学時代俺にとっては唯一無二の友達であって いろい

ろな情報をくれたこと 本当に有難かった。

俺もいろいろあって 今 細々と建築設計をやって どう

にか生きている

○○が真面目に頑張っているみたいで意外!

けど今言えることは○○のおかげで人生いろいろあり

孤独でおもしろく生きてこられたことを本当に感謝してい

○は気付いてないかもしれないけど これ本当だよ

言葉を選んでよそいきの文章になりそうなのでこれでやめ

る いつまでも元気でいてくれ   

遠い片田舎より ○○ ○○   

PS 乱筆誤字お許しを

 

この短い文章の中に ○○とわたしの名前が6回も書かれています  呼び捨てになっています それは親友だったから 四十年の空白があったけど 今も変わらないという思い あまりにも遠い昔なので 一緒に過ごし語りあったことなどすっかり忘れたけど 二人とも大学からドロップアウトしていた感じだった  Y君がわたしにこのような思いを持っていたとは 長い空白の年月を経て、初めて知らされました