名古屋のH君から電話

大学時代の友人の名古屋のH君から電話あり 話しが終わって携帯の通話記録を見ると午前11時05分。通話時間は41分59秒だった 翌日25日には同じ大学時代の消息がなかったT君東京から電話あり 22分53秒だった H君は数年前に梅田で会ったがT君とは40年も会ってなかっただろうか 24日というと日曜日 4月も下旬快晴の空の下で天王谷川のダム湖に流れ込む小川の川辺のテラスから川を覗き込んでいたらH君から電話。今から大阪に行って少し会えないかね?とあまりにも唐突の申し出に、そして落ち込んでいるとか。彼はM重工業の下請工場としてエアコンや航空機の部品製造会社の社長をしている。従業員数も200名くらいいたと思う。その彼があまり交流がないわたしに どうしたん?と尋ねると一緒に暮らしていた女性が二日前に乳がんで亡くなったとか、ところで会社の方はどう?と尋ねるとM重工業の遊休土地が三重の松坂にあって下請工場を移転させたいとか 名古屋から松坂 彼はそのリスクやデメリットそして自らの迷いやストレスそして家族のことを語り出した そのような中で一緒に暮らしていた女性が亡くなり・・・ わたしは水辺でしゃがみ込んで話を聞く そんな追い詰められた状況のH君がわたしに電話をしてきてくれた理由も知りました。わたしを大切な友人だと思っていたんだと長い年月を経てはじめて気が付きました